角館町370年の歴史と伝統 五井酒造店
五井家について

 城下町角館町人の中で、最も古く、町造りと同時にいまの場所に屋敷を持ちました。亨保21年(1736)の町割図には間口貳拾間・裏行十八間四尺八寸とあります。その中に三軒の名子を抱える大商人でありました。
 五井家は藩の御用聞町人として、秋田藩の藩米を大阪堂島の米市場へ運送し売払ったり、阿仁銅山へ送ったりする重要な役割をしております。また宝暦4年(1754)には藩の銀札の発行元になり、安永6年(1777)には藩主佐竹義敦の江戸からの帰国費用一千両を調達いたしております。今でいえば、商社と銀行を兼ねた役割です。
 明和5年(1768)には藩の入用金貳萬両を借入れするために、大阪に出張し、その仲介しておりますが、五井家の信用が全国的なものであることを示しております。
 毎年9月7日からおこなわれる角館の祭典では、9月8日神明社神興巡行に当たっては、その御宿を勤める家柄です。ここに展示しており明和8年(1771)の建物の図面では間口十五間におよぶ家であり、二階には二年後に平賀源内が泊った書院造りの座敷もありました。
 現在の建物は明治33年の大火の後に建てられたものですが、小店・大戸・通り土間など角館の商家の代表的な造りをそのまま維持いたしております。
 なお、角館には五井孫左エ門のほかに藩の御用聞町人の待遇をうけた人は、年代順に、柏谷太郎右エ門・八柳吉兵衛・武村儀兵衛・小林治右エ門・宮田治右エ門・伊藤万之助・金屋茂三郎がおります。○菩堤寺は西勝楽町報身寺、戸沢氏から伝わる五輪塔があります。

五井家・江戸中期年表
1737年(元文元年) 角館町割図(外町=町人町作製)
五井清志郎・表口弐拾間 裏行拾八間四尺八寸
1749年(寛永元年) 小田野直武(武助生まれる)
1754年(宝暦4年) 銀札発行、札元となる。
1771年(明和8年) 白岩瀬戸窯が松本運七、蓮沼七左エ門、小高蔵人によりはじまる。
この年12月、五井家設計図面完成
1773年(安永2年) 平賀源内、五井家へ宿泊、小田野直武に洋画の陰影法を教える。
1774年(安永3年) 日本最初の西洋医学解割書「解体新書」=小田野直武捜図=刊行
1777年(安永6年) 9代目五井孫左エ門、藩主下帰国費用として千両を調達、藩の御用聞町人となる。
1780年(安永9年) 小田野直武死す。
1781〜(天明年間) 角館町の特産品「樺細工」の技法がこの頃北秋田阿仁地方より角館に伝わる。
Copyright(C) 2007 GOISYUZOUTEN. All Rights Reserved.